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「地域活性化」という言葉をいろいろ聞くが、実際に大きな成果を上げているところはほんとうに少ない。
三重県の忍者のふるさと伊賀の里、ゴルフ場は周りにたくさんあるが、これといった公共交通機関がなく、とてもいい立地とは思えない場所で年間34万人の来園者を誇るファクトリーファーム(農業公園)「モクモク手づくりファーム」がある。朝日農業賞、旅行ペンクラブ賞、環境経営大賞、グリーンツーリズム大賞2005など数々の賞に輝いている施設である。 ![]() 「モクモク手づくりファーム」とは、農業と酪農の体験型テーマパークと説明すればわかりやすい。冬季以外の土曜日、日曜日は家族連れで満員状態。駐車場は、大阪、京都、奈良、和歌山、三重、名古屋ナンバーの車でいっぱいである。 ■豚の品質へのこだわりがスタート 農事組合法人「モクモク手づくりファーム」は、社長の木村修さん、専務の吉田修さん、お二人の修さんが三重県のブランド豚生産の研究をされたのが最初。その成果は1983年に「伊賀豚」「松坂豚」として誕生する。お二人は元々獣医さんであることもユニークであり、この「伊賀豚」の生産養豚農家をまとめ、1987年に「ハム工房モクモク」を設立、職員3人、パート3人でスタート。事業コンセプトは「おいしいものと安心の両立」「ものづくり」を原点とした地産地消を目指すところにある。 最初は販売に苦労したが、「手づくりウィンナー教室」という体験型イベントを開催してから、信頼できる企業の良さが消費者に伝わりだし、売上げも急速に伸びだした。養豚の品質へのこだわり、誠実な製品作り、そういった当たり前のことでありながら、なかなか実行できない大手メーカーとの差別化を地道にやってきたのが消費者からの信用になり、その信用がブランドに結実してきているということになる。 そして現状に満足すること無く、さらなる加工品の品質向上を図るためにその後毎年ハム工房のスタッフがドイツまでハム作りの修行に出かけ腕を磨いている。 その成果は、2001年に「国際食肉業組合ハム・ソーセージコンテスト」で金賞6つ、銅賞1つを受賞という偉業に結実している。さらに、ドイツ・フランクフルトで3年に1度開催されるハム・ソーセージのオリンピック“IFFA(国際食肉産業見本市)”にて、2004年10月、モクモクのハム・ソーセージが、金賞3つ、銀賞8つ、銅賞5つ、合計16の賞を受賞。世界の一流メーカーが参加する中での受賞であることが大きな誇りとなっている。 ■直営農場と農産加工の各工房の運営が基盤 ![]() 「モクモク手づくりファーム」の施設には、直営酪農場、養豚場、直営農場があり、直接生産過程を担っている。その品質に対するこだわりは、環境面や、有機栽培、低農薬栽培と様々な面で実行されており、高品質と素材食品の安心、安全への取り組みを行っている。さらに、直営の農産加工場を持ち、消費者へ渡る最終段階まで責任を持って管理している。また、ほとんどの商品をインターネット上でも販売しており、従業員全員が積極的に取り組むお中元、お歳暮時期での商品販売は年数パーセントの伸びを示している。 ■家族で楽しめる農場テーマパーク 一方で、農産加工場のプロとしてのノウハウをいろいろな体験型工房で来場者に提供しているのも、大きな魅力である。これらの試みは、子供達への「食育」を基本にし、小学生の体験学習を年間200校以上も受け入れている。この「食育」という視点もフランスの農場公園における「食育」を模範とし、日本版の子供たちへの「食農学習プログラム」に力を入れている。 モクモク手づくりファーム」の魅力は、来場者への食のバリエーション提案にある。ジャージ牛乳から作ったチーズ、チーズケーキ。焼豚専門工房での各種焼豚販売。直営農場や、近隣の契約農家から仕入れた新鮮野菜を素材に使った農村食堂。ハムソーセージの販売、バーベキューハウス。2005年春季「全国酒類コンクール」において大手ビールメーカの製品と争って1位を獲得したオリジナル地ビール「春うらら」の販売もする地ビールハウス。パン工房、和菓子工房と食品総合メーカ並みの各種施設があり、来場者に見学、開放しながら直販も行っている。 エンターテインメントとしては、ミニ豚のショーがある。調教されたミニ豚がいろいろな芸を披露する。その中の1匹はジャンプのギネス記録も持っている。会場内にもミニ豚が歩き回り、子供たちに大人気である。 その他の施設として、2001年に1000mのボーリングで温泉を掘り、「野天もくもくの湯」をオープン。無料の足湯施設もあり、地元の人たちの来場も増えている。2005年には、県外には初めて、名古屋三越百貨店に直営農場レストラン「モクモク 風の葡萄」をオープン。さらに「OKAERiビレッジ」という滞在型食農学習に対応する宿泊施設も本格的に導入している。それぞれの施設において、環境面への配慮も行き届いており、電気消費量の抑制や、ゴミの量の抑制などにも取り組んでいる。この環境面への取り組みも来場する子供たちへの環境教育に大いに役立っている。そして様々なことにチャレンジしながら次々と事業内容を広げていっている。現在では従業員数も250名程度(半数はパート)、売上げが年間30億円にせまる勢いである。 ■しっかりとしたコアのビジネスドメインからの事業拡大 様々な領域に拡大している「モクモク手づくりファーム」であるが、オリジナリティとトップレベルの製品づくりでコアの事業を確立し、その派生で事業領域を徐々に拡げていくという、マネジメントとマーケティングの基礎的要素をしっかりと守り、地に足がついた堅実さで拡大を遂げている。さらに消費者との接点を最も大事にし、従業員のほとんどに顧客との接点の場を経験させていることも常に消費者から支持され る商品作りに結びついているのではないかと考えられる。農業というとそのイメージが固定され、一般化されているように思われるが、都会の人間にとっては、非日常となるわけであり、そこに注目し農業を観光資源として捉えたところが新しい。農業資源を多次元でビジネスに結びつけ、新しい価値を創造するアグリツーリズムの先導的役割を担っている。全国各地からの指導依頼も多く、シンクタンク、コンサルタントとしての役割が新たに加わり、ビジネスの枝葉をまた一つ伸ばしつつある。 ■若さと笑顔のスタッフ もう一つ重要な要素として、「モクモク手づくりファーム」の強みの大きな要素は人材であると考えられる。20代〜30代の元気な若者が中心で、来場者とのコミュニケーションも体験教室やイベントなど親近感を感じさせるしかけを通じて実施されている。毎年数名のスタッフ募集に新卒の大学生の応募が150名以上と一流会社並みの競争率を誇っている。自然と動物とのふれあいの中での仕事だが、見た目以上につらい仕事も多いと思われるが、スタッフの笑顔はそんなことを微塵も感じさせないはつらつさがある。企業の7つのテーゼの中の一つ、「心の豊かさを大切にし、笑顔が絶えない活気ある職場環境をつくります」を実践できているわけである。「モクモク手づくりファーム」のキャラクターが忍者の里にちなんで「服部ハム蔵」というのも微笑ましい。 「もくもく手づくりファーム」HP http://www.moku-moku.com/ ![]() ![]() ![]() JRの千葉駅から成田線で5つめの駅、佐倉。千葉駅から出てしばらくすると急に緑が多くなる。千葉県特有のなだらかな丘陵地の中を走って行く。佐倉駅から美術館の送迎バスで田園地帯の中を約20分。ちょうど田植えの時期で水田に張られた水に青い空が映り込んでいた。所々田植機できれいに一定間隔に植えられた苗の幾何学模様が美しい。 川村記念美術館は、印刷インキの最大手、大日本インキ株式会社が所有する企業美術館。約10万坪の広大な敷地を有しおり、研究施設もある。この会社の創業者のコレクションから、関連会社が集めた美術品などがあり、日本美術、西洋美術の印象派作品から現代アートまでと幅広い。 この美術館のすばらしいのは、その環境である。佐倉の地の自然環境を大きな財産として捉え、自然の森を敷地内に多く残し森の中の美術館としてオリジナリティを創り出してしている。 美術館に入らなくても地域の人々にもこの森の散策が楽しめるように無料で公開されている。どこかの山の中に入ったような静かな散策路が長く続いている。美術館の前の池には白鳥が泳いでいてその環境全体が美術作品となっているようだ。 館内では、レンブラント、モネ、ルノワール、ピカソ、ローランサン、シャガールと巨匠作品がずら〜と並ぶ。さらにカンディンスキー、マグリットとつづき近代から現代の有名作家の作品が並んでいるので、美術愛好家にとっては満足度が高いはずである。学芸員によるギャラリートークも毎日行われていて、子ども達も含めアート初心者への美術に対する関心を高めさせる工夫が随所に配備されていた。 高級な洋食のフルコースをいただいた気分と満腹感に浸ってしまった。一点一点の美術作品とゆっくり対話する静かな心とゆとりを持っていない自分は、美術作品そのものを楽しんでいるのではなく、美術館という空間が好きなのかもしれないと気づきだした。いろいろな美術作品の持っているなんらかのパワーが私の心の中のどこかを癒してくれているのかもしれない。 池の畔の藤棚の下で休憩しているといい香りが漂っていた。ミツバチがその香りに集まりせっせと藤花の蜜を吸っているようだ。1年の中で最も自然が輝いているように見えるこの季節。しっかりとエネルギーをもらった感じがした。 予想を超えた素敵な美術館だったので、平日の小雨の降る来場者の少なそうな日を選んでもう一度ゆっくり訪れたい。 もう一つ、興味深かい気づきがあった。散策路の管理をしている年配の人が何やら大きな卵をテーブルに置いてみんなにさわらせていた。池で泳いでる白鳥の卵だそうだ。ちょうど男の手の大きさの大きな薄ねずみ色の卵が2つ並べられていた。手に持つとずっしりとした重さ。どうして親鳥のもとで孵化させてやらないのだろうと思っていたら、親鳥の健康を気遣って卵を持ち出しているのだと言う。卵を孵化させるというのは親鳥を非常に消耗させるらしく、歳をとった白鳥のことを考えた処置らしい。 ![]() 「今日は帝劇、明日は三越」の帝劇のある丸の内帝劇ビルの9階に出光美術館がある。(厳密にはそのころの帝劇の建物とは違うが) 桃山時代のやきもの「志野と織部」展が開催されている。例によって、土曜日の授業の帰りにまっすぐ帰るのは、もったいないので寄り道となった。館内は、この催しが4月22日(日)で終るため、多くの人で混雑していた。 志野と織部のやきものは、ジャパンオリジナルとも言える独特のかたち、色彩、文様が400年前に誕生している。中国や西欧の陶器とはまったく違う大らかさ、自由で型にはまっていないそのデザインは、有機的な感覚すら呼び起こしてくれる。ロクロ成形ではなく、京の楽焼きの影響を受けた手づくねによるため、作者の手の痕跡が作品にそのまま表れているわけで、時を超えて作者との対話がなされるような気もする。 国宝1点、重文3点の作品も含め、志野と織部、黄瀬戸の名作が勢揃いしていた。 志野と織部、黄瀬戸は、桃山時代、瀬戸から多くの陶工が移り住んだ岐阜県の土岐の古窯でうみだされたもの。それぞれの自由な形と、幾何学紋様や風俗文様などが力強いタッチで描かれている。釉薬と土の違いでそれぞれの色の違いがあるが、その自由な造形と文様は千利休、古田織部による茶の美学の時代を映し出している。 子どものころ、自宅の茶箪笥に織部の大きな水差しがあった。黒い塗りの蓋もあり、上品でありながらなにかやさしい印象を持ったのを今でも覚えている。ひょっとしたらやきものを意識した最初がこの織部の水差しだったのではないかと思う。その刷り込み効果なのか、やきもののなかでは織部が一番好きである。 この出光美術館は皇居のお堀に面しているため、ロビーの休憩用の椅子はすべて皇居側に向いていて、新緑の皇居の森が一望できる。遠くには池袋のサンシャインビルも見え、正面に桜田門が見えている。富士見櫓、東宮御所の屋根、宮内庁なども見渡せる最高の眺望となっている。 ![]()
今、期間限定で江戸時代の正確な東京古地図がYahooで公開されている。
![]() 現代の地図や、航空写真、明治時代の地図もオーバーラップしているので非常に解りやすく、おもしろい。 江戸散策ブームもあって、いろいろな歴史散歩コースや文学散歩コースなども設定されていて親切である。 このようなコンテンツは、様々な「物語」を語る素地となっており、みんなの記憶に残ったり好奇心を呼び起こす基になる。 江戸時代の地図をみているとやはり大名屋敷の大きさと多さにびっくりする。大きな大名屋敷跡は緑豊かな公園などに生まれ変わっているのがよく分かる。 東京都心に緑が多いのは大名屋敷が多かったからだと聞いてはいたが、こんなに多いとは正直おどろいた。 時間がたっぷりある時に江戸時代の地図上でゆっくり散策するのもいいもかも知れない。 ![]() ![]() ![]() 神山町は、四国、徳島県の中山間地域にある人口8000人弱の町。 徳島市から車で1時間程の距離。友人を連れて行った時など、「どこまで連れていくねん」と言われたぐらいくねくねした山中の道路を辿る。 この神山町ではごみも落ちていないきれいな道路が続いている。 今、全国で活動が拡がっている「アドプト・ア・ハイウェイ」が日本で最初に実施された町である。 町内の道路を2kmごとに区切り、各区間を養子として企業や、地域、学校などの各団体が登録し、1ヶ月に1度を目安に清掃活動をするというもの。町内の道路すべてがすでに登録されている。何の報酬もないのに多くの人が集まり、黙々と清掃活動が行われている。 自分達の町をきれいにして、お客様を迎えたいという気持ちがこの活動を支え、継続させている。 この「アドプト・ア・ハイウェイ」活動を通じて、コミュニティの結束力は非常に強固なものになっており、地域の人々のコミュニケーションも活発になっている。 この結束力の元、1999年から町の活性化の施策の一つとして町の国際交流協会を中心にKAIR(Kamiyama Artist in Residence)を実施している。 毎年、10月に海外から3名、国内から1名程度のアーティストを応募者の中から選抜し、豊かな自然に包まれた神山町へ招待している。交通費、滞在費、アトリエを提供し約40日間地元で活動するという催し。 作家は、作品作りとともに、地域の学校でのワークショップ、地域の人達との交流を行い、最後に作品の発表と作品を町に寄贈することになっている。 少ない活動資金にかかわらず、町内の人々のこころ暖まるもてなしに作家は皆感動して帰えって行く。 最初の4年間は知名度の低さ、広報活動の弱さで応募者も30名程度であったものが、すばらしい環境と充実したサポートを受けた作家達が自国に帰り、自分のホームページなどで神山町のすばらしさ、KAIRのすばらしさを伝えたことにより、世界中のアーティストに知れ渡った結果、2003年度からは毎年150〜200名を越える応募数となっている。作家の選抜においては、町と連携関係にある美術系大学の教授を交えて審査をしており、選抜審査結果に世界中のアーティストが注目している。 今では、少子化、過疎化が進む町内の廃校校舎を美術館とし、参加アーティストの作品を展示している。 何10億円もかけて立派な美術館を作り、毎年何億もの予算で美術展を開催している地方の美術館と違い、ほんとうに少ない予算で世界の一流作家の作品が並ぶ美術館は感動ものである。 「ハードよりもソフトを考えよう」という賢明な姿勢がすばらしい芸術文化環境を産み出している。 日本人作家の中には地元に移住した人もいる。2005年の作家も1名移住を検討中と聞いている。 さらに理想の地を探して世界中を周り、神山町にたどりついた歯科医のご夫婦もいて、またその方が中心となり新たな素敵な町づくりの活動が拡がっている。 これらの活動の中心になっているのがNPOグリーンバレーという組織で、その理事長である大南信也さんは、全国からの依頼で毎年60回ほどの講演で飛び回っておられる。その視点は「日本の神山町」ではなく「せかいのかみやま」というグローバルで雄大なものである。 神山町ホームページ 神山町アーティストインレジデンスHP
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